ミュージアムで地域の歴史や人物を知ろう!
神奈川の歴史は、知れば知るほど深いものがありますね!歴史的な事実だけではなく、詩人や文豪たちの足跡も各地に残っています。今号では、歴史的人物に関する資料や展示をする記念館や、地域の歴史に関する博物館など、バラエティ豊かなスポットを特集してみました。これらに共通するキーワードは、「日本の歴史・文化発祥の地が神奈川にはたくさんあって、神奈川の歴史的な発展に貢献した人々が多いこと」です!あなたもぜひ、神奈川の歴史的な深淵の世界に入り込んでみませんか?(2012年2月9日更新)
大佛次郎記念館 (おさらぎじろうきねんかん)
横浜市中区山手町

アーチ型の屋根と赤レンガの外観が特徴の建物。

館内の吹き抜けのランプの上にも猫の置物があります。
愛猫家としても知られる大佛次郎が集めた、
猫の絵や置物が展示に彩りを添えています!
大佛次郎記念館は、港の見える丘公園の展望台の南側に広がる沈床花壇の奥にある、アーチ型の屋根と赤レンガの外観が特徴の建物です。横浜生まれの大佛次郎の業績と生涯を様々な資料で紹介しています。
その作品は横浜を描いたものが多く、中でも「霧笛」、「幻燈」は開化期の横浜を描いた名作として今も多くの人々を魅了し続けています。また新聞小説50年の経歴も持っています。代表作には「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」「帰郷」「赤穂浪士」などがあり、特に知られているのは「鞍馬天狗」です。1924(大正13)年に発表したこの作品で一躍その文名を高めました。
大佛次郎という名はペンネームで、鎌倉の大仏裏に住んでいたことに由来し、大仏様が太郎なので、次郎という名にしたそうです。また愛猫家であったことから、館内の至るところにご自身の集めた猫の絵や置物が多数展示されています。実際、常時15匹ぐらいの猫に囲まれて過ごしていたそうです。
通年、収蔵品展「横浜ゆかりの作家『大佛次郎』の業績と生涯」を開催しています。大佛次郎の原稿、創作ノート、愛用品、猫の置物などが展示されています。テーマ展示は、年3〜4回内容が変わります。(取材・文/かなたび君1号)
大佛次郎記念館(2012年2月9日更新)
茅ヶ崎市開高健記念館 (ちがさきしかいこうたけしきねんかん)
茅ヶ崎市東海岸南
モダンな作りの建物は、記念館にするために建てられたかのよう。
愛用の品々が飾られた書斎は当時のまま保存されています。
味のある文字の直筆原稿も多く残っている、
釣り好きでも有名だった開高健の記念館!
茅ヶ崎市開高健記念館は、開高健が1974(昭和49)年に東京杉並から茅ヶ崎市東海岸南に移り住み、1989(平成元)年に亡くなるまで活動した邸宅を、ほとんど手を入れずにそのまま記念館として、平成15年4月から公開・展示しています。
その建物は、湘南茅ヶ崎にふさわしい凝った造りで、天井が高くロフトのある部屋やテラスなど、別荘のようなモダンな建物です。そのため、建物を見るために訪れるお客さんも多いそうです。建物外観はもちろん、開高健が名付けた「哲学者の小径」をもつ庭と書斎は往時のままに、邸宅内部の一部を展示コーナーとして、常設展示と、期間を定めてテーマを設定した企画展示を行っています。
また、釣りも大好きでご自身で釣り上げた巨大なキングサーモンの写真や、これもご自身で仕留めたというトナカイの剥製などが壁に掲げられ、多趣味であったこともうかがえます。世界各地を飛び回り、手に入れたパイプやライターのコレクションもあり、愛用のモンブランの万年筆を手に原稿に向かった書斎には、ルアーやイトウ、キングサーモンなど自身が釣り上げた剥製も壁に飾られています。いまでもまだ、この書斎で執筆活動を続けているような錯覚にとらわれます。(取材・文/かなたび君1号)
開高健記念館(2012年2月9日更新)
白秋記念館 (はくしゅうきねんかん)
三浦市城ヶ島
城ヶ島大橋の下にある白秋記念館と白秋詩碑。
白秋記念館には三崎時代の直筆ノートなどが展示されています。
「城ヶ島の雨」の詩碑と、
北原白秋ゆかりの品々を展示する「白秋記念館」!
北原白秋は福岡県柳川市に生まれ、大正時代の詩人であり歌人でもあった人物です。白秋は大正二年に失意のどん底から死のうと考えて三崎に来ましたが、あまりにも空が温かく日光が眩しかったので死を断念しました。この後、官能詩人から自然詩人へと大きく変わりました。この時代は白秋文学の分水嶺といわれ、「雲母集」「真珠抄」「白金之独楽」を書いています。また「城ヶ島の雨」は、三崎に住んでいた頃、芸術座の第1回音楽会の為の舟唄として作詞したものだそうです。現在、白秋記念館前の小さな砂浜には、昭和24年に建立された白秋詩碑にその一節が刻まれています。高さ3m余、帆型の根府川石で、草書は白秋の自筆です。
館内には、三崎時代の当時の白秋のメッセージを主軸に構成展示されています。白秋の三崎時代のノートや遺墨等が置いてあり、白秋ファンはもとより、観光客も多く訪れています。2階展示室には、白秋が三崎に来るきっかけをつくった公田連太郎や、北原白秋生誕100年に先師の三崎時代を偲んだ宮柊二の一首(自筆)なども展示されています。
また三崎時代の後半を過ごした見桃寺に、白秋碑の第1号として昭和16年に自らが除幕式に出席した「見桃寺の歌碑」も残っています。三浦三崎をこよなく愛した詩人、北原白秋は城ケ島を全国に紹介しました。この偉大な功績を末永く顕彰し在りし日の白秋を追慕するため、毎年7月10日に三崎白秋まつり「碑前祭」を行い、11月末まで関連行事が開催されています。(取材・文/かなたび君1号)
白秋記念館(2012年2月9日更新)
小田原市尊徳記念館 (おだわらしそんとくきねんかん)
小田原市
江戸時代の農政改革の指導者であった二宮尊徳
小田急「富水」駅から歩いて15分のところ。
小田原の偉人・二宮尊徳が
どんなにすごい人だったのか!?を知る
通称、二宮金次郎。公人としては二宮尊徳。一般的に「そんとく」と呼ばせていただいているが、正式には「たかのり」と読むそうだ。二宮尊徳、おそらくみなさん誰もがご存知で、薪の束を背負い、歩きながら本を読んでいる姿・銅像を見かけたことある人は多いはず。小田原市の栢山の農家に生まれ、少年期に父母を失い、災害で家が傾いたり、逆境多い人生を努力で切り拓き、惜しみなく働き、多くの農村の救済に力を尽くした人物です。
そんな二宮尊徳の生誕地・栢山には、尊徳記念館が建てられています。敷地内には、復元された尊徳の生家が見学開放されているほか、館内では、尊徳の生涯や業績をジオラマやアニメーションで見たりできます。ところでビックリ驚いたのが、大柄な二宮尊徳像。なんと実物大とのことで身長182cm、体重は94kg、わらじの大きささはなんと28cmもあったということ!見た目も業績もビックな方だったのですね。(取材・文/かなたび君2号)
小田原市尊徳記念館(2012年2月9日更新)
ペリー記念館 (ペリーきねんかん)
横須賀市久里浜
ペリー来航と開国の歴史を広く伝える「ペリー記念館」。
ペリー公園入口の松の木に施した風物詩の“雪吊り”。
200年に渡る鎖国の歴史を転換する、
歴史的なペリーの上陸地にある「ペリー記念館」!
ペリー記念館は、ペリー上陸を記念するペリー公園内にあり、横須賀市の市制80周年を記念して1987年に開館した、ペリーの足跡を記念する記念館です。建物は2階建てで、館内は1階が受付と黒船来航当時の久里浜周辺の地形と黒船を再現したジオラマ模型の展示、 2階がペリーの久里浜上陸図や当時の絵図といった資料の展示室となっています。記念館の前と2階の展示室には、戸田伊豆守とペリーの銅像が建っています。
1853(嘉永5)年、黒船を率いて横須賀市の浦賀に来航したマシュー・ペリー提督の上陸の地である久里浜にペリー公園は整備されました。ペリーは、大統領フィルモアの親書を江戸幕府に渡し、翌年、神奈川において日米両国間に和親条約が締結されました。この一連の出来事は、幕府支配のもとに鎖国を続けていた日本を世界へと引き戻す原動力となったのです。そして、ペリー来航を記念して、1901(明治34)年7月14日には上陸記念碑が建立され、その碑文「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」は伊藤博文の揮毫によるものです。
また公園内には児童広場もあり、遊具は黒船のような形をしていて、いつも子どもたちで賑わっています。毎年7月中旬頃には、ペリー上陸を記念して「久里浜ペリー祭」が開催されています。バザールや式典、パレードなど、夜には横須賀でシーズン最初の花火が打ち上げられます。(取材・文/かなたび君1号)
ペリー記念館(2012年2月9日更新)
横浜山手・テニス発祥記念館 (よこはまやまて・テニスはっしょうきねんかん)
横浜市中区山手町
1890(明治20年代)の山手公園でテニスをする女性たち。
100年以上前の古い木製のラケットがたくさん展示されています。
日本のテニス発祥の地でテニスを楽しみながら、
優雅な歴史と文化も学べます!
横浜山手・テニス発祥記念館は、1876(明治9)年にわが国最初のテニスクラブ誕生120周年を記念して設立されました。1874年に英国で始まったローンテニスは2年後の1876年に横浜に上陸し、さらに2年後の1878(明治11)年に日本初の「婦女弄鞠社(レディズ・ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブ<LTT&CC>)」がつくられ、現在のYITC(横浜インターナショナル・テニス・コミュニティー)となっています。
山手公園は、1870(明治3)年に横浜居留外国人の手によってつくられた、日本初の洋式公園です。以来、80年間外国人の公園として、戦後は横浜市民のスポーツと憩いの場として歩んできました。また、ヒマラヤスギもここに初めて植えられて全国に広まりました。2004年3月1日に、国の文化財名勝の指定を受けています。
記念館の館内には、様々な100年以上前の古い木製のラケットが展示され、当時のラケットは弾まないボールをすくい上げやすいように面が曲がっていたことがわかります。また、格好もドレスのような正装で、あまり走ったりせず優雅な雰囲気でテニスを楽しんでいたそうです。
公園内は大きく横浜市の所有する人工芝のコートが6面と、YITCが所有するクレーコート6面があります。市の施設は横浜市民なら予約すれば使用できます。(取材・文/かなたび君1号)
横浜山手・テニス発祥記念館(2012年2月9日更新)
日本新聞博物館 (にほんしんぶんはくぶつかん)
横浜市
大正末期から昭和初期にかけて国内で製造されたマリノニ型輪転機。
色鮮やかなパネル。見ているうちに読んでいる。学習している。展示が素晴らしいです。
世界的にも珍しい新聞の博物館
見どころが多いので時間に余裕をもって見学を
日本大通り駅3番出口からスグ!というより駅そのもの?日本新聞博物館が入居している建物、横浜情報文化センターは、関東大震災の復興記念として建てられた横浜市の歴史的建造物。新聞博物館にはピッタリな重厚で知的な雰囲気ですね。少々固いイメージをもって出かけてみましたが、入り口には驚き顔のかわいいのロゴマークが。家族連れで訪れている方も多くいらっしゃいました。
新聞博物館でまず驚いたのは圧倒的な展示力!新聞の歴史をはじめ、新聞・通信社の日常の全活動(取材・編集、製作、広告、販売、事業にいたるまで)を、2000点余におよぶ実物展示と映像、パネルを使って紹介。これが本当にスゴイッ!子供たちに人気なのは、新聞製作工房でのパソコンを使った新聞づくり体験のようです(約30分)。今の時期のオススメは、2012年4月15日まで開催されている「2011年 報道写真展」。東京写真記者協会加盟社(新聞、通信、放送34社)の写真記者が2011年の1年間に撮影した報道写真の中から約300点を展示。この写真展だけでもゆっくり見て1時間ほどでしょうか。見応えがありました。ぜひ余裕をもってじっくりお楽しみください。(取材・文/かなたび君2号)
日本新聞博物館(2012年2月9日更新)
電車とバスの博物館 (でんしゃとバスのはくぶつかん)
川崎市宮前区宮崎
「ぺこちゃん」「いもむし」とも呼ばれていた玉電!
迫力と感動で大人気の8090系運転シミュレータ!
4種類のシミュレータが子どもたちに大人気の、
東急に関する「電車とバスの博物館」!
「電車とバスの博物館」は、1982年に東京急行電鉄の車両等を保存・展示する施設として高津駅に隣接して建てられましたが、2003年3月に宮崎台に移転、リニューアルオープンした博物館です。入館はチケットを券売機で購入して、自動改札機を通ります。その日であれば、何回でも出入り可能です。
子どもたちに大人気なのは、4種類あるシミュレータで、電車(モハ510・8090系)バス、飛行機(YS-11)の操縦をそれぞれ体験できます。なかでも人気なのは、現在でも現役で活躍している8090系の運転シミュレータで、運転待ちで平日でも列ができるほどです。映像も実際の運転に合わせて動き、臨場感あふれる体験ができ、本当に電車に乗っているような感覚になります。
その他、東急線の旧型車両や電車・バスの展示や、パノラマ模型運転コーナーなどもあり、大人からこどもまで楽しめる博物館となっています。HOゲージ模型運行を中心に、運輸司令所との連携にふれながら、電車の安全運行システムをわかりやすく解説しています。また、昔の車両を使ってブレーキや電車の仕組みが分かる展示がされていたり、昔の切符売り場を再現した駅舎では、時間によって記念切符も販売されます。ミュージアムショップでは、ココだけにしかないグッズも販売されています。ぜひ行ってみて下さい。(取材・文/かなたび君1号)
電車とバスの博物館(2012年2月9日更新)









